留学というとやはりアメリカやイギリスが主流かと思います。フランスでも交換留学を含め、日本人を見かけることはありますが、その大半はパリが中心となっています。私のようにフランスの地方で博士課程を行っているものは珍しいとの旨、今回このような記事を書く機会をいただきました。読んでくださる方にとって少しでも参考となれば幸いです。
■ フランス留学の経緯
日本では化学実験の視座から宇宙空間に存在する物質の生成過程を明らかにする、宇宙化学と呼ばれる学際的な研究を行っていました。しかし研究を進めていく中で、私自身の興味が徐々に理論的な方向へ向かい、現在は不規則系の統計力学について研究をしています。
当時分野を変える方向で博士進学を検討していくなか、特に日本である必要もないと思いたち、博士留学にも目を向けるようになりました。はじめは例にもれず、地の利もあってアメリカを中心に進学先を検討していました。しかしながら希望に沿った研究室を見つけることができず、 そこで選択肢をヨーロッパへ広げる事としました。ヨーロッパ殊にフランスは、私が研究したいと思っていた非平衡系の統計力学やソフトマターの分野において歴史的にもあまたの高名な研究者を輩出してきました。特にソフトマターの名付け親でありノーベル賞受賞者でもある Pierre-Gilles de Genne は物理界隈で有名でしょうか。こうした伝統ある国で研究を行うことに魅力を感じフランス博士留学の門戸を叩くこととなりました。そして気づけば、フランスは南東のオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ (Auvergne-Rhône-Alpes) 、グルノーブルという田舎町にあるグルノーブル・アルプ大学で博士課程をしています。
グルノーブルは小さい町ではありますが、科学都市として有名で日本のつくば市のような街です(実際につくば市とグルノーブルは姉妹都市として協定を結んでおり、つくば市長が来たこともあるようです)。また大型加速器もあり、ヨーロッパ各国の研究者がマシンタイムを予約して、利用しに来ているようです。こうした町の土壌故か、石を投げたら高確率で研究者ないしはエンジニアに当たるといわれています。
グルノーブルのバスティーユ付近の写真。グルノーブルの文字が見えます。
■ 博士課程出願の詳細
一般的に博士課程へ応募する場合は、研究者のホームページ等に記載されている求人 (open position) への応募、ないしはメーリングリスト、ヨーロッパの博士求人サイトに上がっている求人への応募のどちらかから始まることがほとんどだと思います。私の場合は前者でした。分野を移ることを考え始めてから、その研究分野の論文を日々チェックしていたため、出願前にどの研究者の下で研究を行いたいかおおよその目星をつけていました。私の場合指導教員として希望していた方に個人的に連絡を取り、その方の下で博士課程を行う許可を得たのち、博士課程中の給与を獲得するためコンクールと呼ばれる選考を受けました。コンクールは大きく、書類選考とインタビューから構成されています。書類選考では学士・修士の成績や研究計画書・エッセイを準備します。そして書類選考を通過すると、いよいよインタビューに移ります。インタビューの内容は、一般にはまちまちだと思うのですが私の場合は、博士で行いたい研究分野に関連した口頭試問と修士までの研究内容の発表を行いました。コンクール前に提出した書類群には、コンクールでのインタビュー評価を記入する箇所があったため、インタビューの上位から順に合否が出ていたのだと思います。当時、まだ日本にいたためオンラインでの実施となりましたが一般には現地対面での実施が基本のようです。
橋からみたグルノーブルの街並み
■ フランスってこんな国
良くも悪くも大変大雑把な国です。事務手続きが異様に遅いというのは有名な話でしょうか。例にもれず私も在住許可のカード申請においておよそ半年待たされ、フランス事務の洗礼を受けました。ただ面白いことに知り合いの何人かと話していると、この大雑把さを“自由度”として捉えている節があるらしく、好意的に捉えているようです。時間に対してきっちりとしている日本の“常識”からすると、「これが果たして自由と同義なのか…」と思ってしまいますがお国柄、文化の違い、という点に集約されるのかもしれません。またフランスでは「そんなまさか!?」と思うような珍事件に巻き込まれることもままあり、良い意味で精神力を鍛えられています。とはいえこんな風に話せるようになったのも、渡仏後およそ4か月の月日を重ねた頃のこと。実際渡仏当初は日本の当たり前の“感覚”が抜けず、やきもきすることも多かったです…。ですが生活の基盤ができてくるにつれ、余裕が生まれたからか不思議とフランスという国の共有する感覚に慣れてきました。
こんなことを書くと悪い点しかないように見えますが、もちろん良い点もたくさんあります。特に実感するのは“多様性”と“人の良さ”です。現在所属している研究所には、実に様々な国籍の人がいます。当然フランス人が主流ではありますが、同僚はドイツ、イタリア、スペイン、ノルウェー、アメリカ、イギリス、インド、トルコ、ロシア、中国、韓国、アルゼンチン、カメルーン出身と多種多様。こういう人種の多様さはなかなか日本の研究室では見受けられません。私はこういう多様性のある環境に身を置くことが好きだったので、今の環境を非常に気に入っています。また些細なことかもしれませんが、入店する際や退店する際に笑顔で挨拶をしあうこと、ふとした際に人と目が合って笑顔になるというのは凄く良いことだなと感じます。日本のおもてなしや丁寧さとも違った何か人のぬくもりを感じ、フランスという国の懐の深さを実感します。良く聞く田舎の人は優しく、パリジャンは冷たいという話は、私個人としてはあまり感じていません。総じてみんな優しいように思います。
■ フランス田舎暮らし
なんといっても迫力満点の大自然。グルノーブルは町全体が山で囲われており、朝起きて窓を開けた際に見える大迫力の山々を見ると、ヨーロッパの原風景を見ているようでうっとりとしてしまいます。何度も写真を撮るのですが、写真には体感している迫力まではなかなか映らず、残念です。日本でも豊かな自然はたくさん見つけられますが、湿度に起因した風土の違いを感じます。
本記事では田舎と記していますが基本、生活で困ることはありません。アジアンスーパーマーケットも複数店あり、日本のお米や食材も容易に入手することができます。ただし、値段は“気軽に”とは言いづらく…。例えば、新潟産のお米 2 kg がおおよそ 20 EUR です。1 EUR = 169 JPY くらいの為替を想定すると大体 3400 円しないくらいの金額です。品種にもよりますが、日本では大体 5 kgで同じ金額帯になるため、やはり高いと言わざるを得ません。近くには IKEA などもあり、基本的な食器や家具など日用品が別途必要になれば、すぐに買うことができます。
あと面白い点で言うと、グルノーブルには多数のコミックショップが点在しています。ポケモンや NARUTO 、One Piece など有名どころの漫画はもちろんのこと、呪術廻戦など比較的最新の漫画まで豊富な品揃えです。フィギアなども販売されています。フランスは漫画・アニメ大国であり、私自身、漫画・アニメを通して交流が始まった人もいます。こういうところで日本の漫画が非常に影響力を持っていることを実感します。
グルノーブルにあるコミックショップのショーウィンドウ
また、交通面でも丁度良い場所に位置しています。Lyon と Geneva までは TGV で1時間、Paris までは3時間程度で着くため、週末に観光込みで移動することも可能です。
■ フランス語
非英語圏の留学に際し、大きな壁となりうるのが言語かと思います。殊にここフランスに限っては、ほかの国に比べ言語の問題に頭を悩ませることが多いかと思います。
まず今の若者はかなりの割合で英語を話すことができます。そしてみんな流暢に話します。今の世代は小さいころから英語圏の映画や音楽に親しんでいることが大きいようです。短期でイギリスへ行き、英語を勉強しに行くことも珍しくないようです。一方、年齢層が上がっていくにつれ、英語を話せる人の割合は減っていきます。話せたとしてもフランス語訛りの強い英語を話される方が多い印象です。使用される英語の語彙もフランス語の影響もあってかフォーマルなものが多く、意味を把握するのに時間がかかったこともありました。
普段の研究室生活では基本、英語で会話をしています。ですが、事務仕事などでメールを送る際、英語で送るとすべてフランス語で返事が返ってくることもたまにあります。毎日のメールも英仏双方で書かれたものと、フランス語のみのもの半々程度で届きます。故に完全に英語で事足りるか、というと一概にはそうとはいえません。またフランス人は気分屋のところがあるのか、友人と大学事務室に行った折節、友人は英語で対応され私はフランス語で対応されるということもありました。
日常生活では、基本フランス語です。当たり前といえば、当たり前の話ですがここフランス共和国の公用語はフランス語なので、彼らにとって英語を話すべきいわれはありません。
“郷に入っては郷に従え”の心構えが大切だと思います。実際フランス語を話せるようになると急に親切になり、対応が良くなることは良くあります。言語を通した異文化理解のため、生活を円満にする潤滑油としても、最低限のフランス語を勉強しておくと良いと思います。
■ 博士での留学という選択肢
海外留学というのは必須でしょうか? XPLANE に記事を寄稿していながら、私自身は必須のものだと思いません。日本の研究環境は、少なくとも私にとっては今と遜色なく素晴らしいものでした。海外で生活基盤を一から構築するというのは、想像以上に大変です。日本であれば、そんな苦労は最小限で済むでしょう。そしてご飯は美味しいし、食材から日用品まで品ぞろえも豊富、衛生面でも非常に優れています。
ではなぜ、留学をしたのか。私の場合はより多くの交流の機会を望み、留学することを決めました。そして現在、フランス全土で知り合いが増えたのはもちろんのこと、ゆく先々での交流も広がり充実した生活を送ることができています。では留学をして良かったと実感する点は何か、自分自身に問うてみると大きく2点あります。
1つ目はこの先、どこへ行っても生きていけるだろうという自信が得られたことです。フランスへ来る前も、根拠のない自信はありましたが自分自身で生活基盤を一から作っていく中で、その根拠が得られたように思います。
2つ目は、私自身の異文化理解が深まったことです。本を読んだ際に良く見かける「文化」という言葉は一体どういう意味でしょうか。広辞苑を引いてみると、「人間が自然に手を加えて形成してきた物と心の両面の成果」、「西洋では、人間の精神的生活に関わるものを文化と呼ぶ」とあります。端的明瞭、概念的でもあります。でもここでいう「物と心の両面の成果」、「精神生活」とは何ぞや、と問われたとき答えに窮してしまいます。そう、「文化」という言葉を何回書いても、何度読んでみてもそれ以上の意味がわからないのです。ですが、案外普段のふとした瞬間の違和感が、こういう記号化された言葉の表す内容の一端を気づかせてくれることがあります。私はここフランスで生活をしていく中で、思念的な言葉で理解してきたものが経験と実感によって解体され、私の「言葉」として再構築されていく瞬間がありました。これは日本にいる時には気づくことのできなかったことであり、まさしく“百聞は一見に如かず”、と感じます。
■ 終わりに
主流なアメリカやイギリスとは違った、ヨーロッパの特に田舎の地域での博士課程の様子が少しでも伝われば幸いです。そして、これからフランスへ留学をしようとする方の参考となれば望外の喜びです。