1. 自己紹介
2022年秋からアメリカのUniversity of Pennsylvania (以下UPenn) Bioengineering PhD programに進学します、山田啓介と申します。合成生物学と生物情報学という分野を専門に研究をしていて、機械学習と分子生物学的な実験を組み合わせ、予測可能な形でタンパク質やRNAの配列を設計する事を目指しています。
簡単な経歴としては、都内の中高一貫校を卒業後に1年間の浪人を経て早稲田大学先進理工学部の電気・情報生命工学科へ入学し、留学や休学を挟んで6年かけて卒業しました。海外大学院の受験記は出願に関するあれこれが多いですが、出願周りについては他に書く機会もありそうなので、ここでは敢えて趣向の異なるエッセイを書こうと思いました。PhD進学に至るまでの紆余曲折を含む一連の道程が大学院受験だったという設定の、極めて主観的な話をしようと思います。
2. 交換留学まで
海外大学院への進学は学部入学時から意識していましたが、最初のうちはGPAの維持に気を揉んでいた位でこれといって特別な準備はしていませんでした。本当はこの時期にGRE対策やスピーキングの練習でもしておけば良かったのですが、今の僕がタイムマシンで戻って言い聞かせたとしても彼はきっとやらないので仕方がない事です。
学部2年後期あたりに次年度の交換留学希望者の学内募集があったので応募しました。留学の効用を最大化するには早稲田での科目履修を一通り終える3年後期からが良いと判断し、そのタイミングでの応募に決めました。交換留学の主な目的として考えていたのは
- 米大の教授から推薦状を得ること
- 論文実績を積むこと
- 米大で良いGPAを取って日本でのGPAに説得力を持たせること
の三つでした。留学先を選ぶに当たって1.と2.の判断基準を当時は持ち合わせていなかったので、素直に学内募集リストの有名大学から理工系の授業が履修可能なところを選びました。大学院受験を終えて振り返ってみると3.のGPA評価は足切りの意味合いが強い印象を受けたので、それほど気にする事は無かったようにも思いました。
第一希望の大学について学内選考後に留学先の担当者との面接があったのですが、スピーキングが稚拙過ぎた為か残念ながら落ちてしまいました。不合格のメールを受けてキャンパスで黄昏れていると早稲田の留学担当の方から連絡があり「第二希望のUPennはまだ選考に間に合うよ」と教えて頂きました。追加で応募したUPennの選考は、TOEFLとGPAの基準を超えていればOKという来るもの拒まずスタイルで、無事に留学許可を貰えて一安心しました。
因みに交換留学中の早稲田での扱いとしては、必修である実験科目の単位が逆立ちをしても認められないとの事で、実質的な留年を余儀なくされました。留学を終えて件の実験科目を履修した際にはコロナウイルスの影響で全面的にオンラインになっていて、身体をわなわな痙攣させながら課題に取り組みました。僕がセミなら街中に泣き声が響き渡るところでした。
3 出願前の所属での専攻分野・研究内容に関して
アメリカの大学では多くの場合学部生の研究活動が必須ではないため、経験を積みたい学生は自ら研究室を訪ねて受け入れて貰う必要があります。ところが、留学直後に最初に問い合わせた教授からは「大学院生で一杯で実験を満足にさせてあげられない」と断られてしまいました。そのため、次に訪ねる研究室は、興味のあった中でより人数の少ない方を選びました。人数が少なければ学部生でもチャンスが多いかも知れないとも思い、僕のケースに関して言えばこの判断は正解でした。
メールを送って一週間程で、教授との面談に呼ばれました。当日、居室の扉を恐る恐るノックしてみると誰も居ない様子でした。得体のしれない交換留学生は雑魚なので忘れられたのだろうか、と若干やさぐれつつメールを再確認すると、面談の連絡に対して僕が返信をしていなかった事に気付きました。雑魚は返信を忘れていた僕自身であって、交換留学生ではありませんでした。青ざめながらも「居室に誰もいないけど、場所あってる?」という謎に強気なメールを送ると、すぐに教授が現れました。返信が無いから来ないかと思ったと言われたので、ゴメンネと返しました。
一つ目の研究室には断られ、直前にはメールを無視するミスをやらかしていたので、不安と緊張でプルプルしながら面談に臨みました。面談では主に研究の興味や履修した授業、実験の経験があるか、基礎的な統計とプログラミングが分かるかを聞かれ、辛うじて打ち返しはしたものの教授の反応が薄く手応えはありませんでした。やってしまったかと諦めかけましたが、面談終了後に実験室へ連行されたかと思うと「今日からこれ君の机ね」などと告げられて呆気なく研究室に入る事になったのでした。教授のリアクションが薄かったのは単純にそういう人だからでした。
研究室所属後は二つの研究テーマで実験をしゃかり気に進め、ある程度の結果は得られたものの残念ながらどちらのテーマもお蔵入りになってしまいました。とはいえ頑張った甲斐はあり、留学が終わりに差し掛かる頃に教授の方から「ビザを延長して夏休み中も残ったら?」と提案して貰えました。留学生事務所までえっちらおっちら出向いて行って利用できるオプションを見てみると、学生(F-1)ビザに付随のOPT制度で最大1年間滞在を延長できるらしいという新事実が発覚しました。学部の卒業が再び遅れるわけでしたが、浪人も留学もしているしもう1年くらい変わらないかな(?)などと錯乱して、次の1年もアメリカに居座ろうと決めました。論文実績を積むという留学当初の目的が道半ばだったのが大きな理由でした。
4. 休学中の気づき
休学中は大きく分けて二つの研究テーマに取り組み、それぞれのテーマで研究活動をする上で重要な気付きを得ました。
一つ目の研究テーマはPhD学生のプロジェクトの一部を担当する形で、光に反応して細胞の形を制御するタンパク質の設計を行いました。結果自体は複数の論文成果として出せたのですが、タンパク質配列の設計手順に納得の行かない(運良く上手く出来てしまった)部分が残ってしまい、自身の技術不足を感じました。論文を読む内に、自分に不足している技術は機械学習を始めとするコンピュータサイエンスの手法で補完できるのでは無いか、と感じたのが一つ目の気付きでした。
二つ目の研究テーマはiGEMという学部生の研究コンテストに参加するもので、他の学部生四人とチームを組んで取り組みました。メンバーの興味を合算してテーマ決めをした結果、3Dプリンタを改造する、という僕の研究興味とはほとんど関連のない研究を行う事と相成りました。正直にいうと当初はあまりやる気がありませんでしたが、改造したプリンタの精度を最適化するに当たってパラメータが結果にどう影響しているかを調べる手順は、自分でも意外なほど楽しいものでした。科学に於いて自分が好きなのは、ブラックボックスから断片的に情報を集めて体系化するプロセスなのだな、というのが二つ目の気付きとなりました。
これらの経験から、どうやら情報系の研究をしておくと有用らしく、生物実験の無い研究もそれなりに楽しめそうだという事が分かったので、休学を終えた際に思い切って分野を変える事が出来ました。特に3Dプリンタの研究テーマは適当にこなす事も出来ない訳では無かったので、場合によっては視野も専門分野も今とは違っていたかもしれません。そう思うと少し怖くもあり、ワクワクもしてしまいますね。
5. 研究分野の変更
早稲田へ復学するタイミングで生物情報学の研究室へ飛び込んだのですが、これには前述の気付きの他にも複合的な理由が絡んでいました。
- 自分の目指す研究分野に情報系の知見が必要だと感じたこと
- 異なる分野でも楽しめるだろうという楽観
- 仮説検証サイクルの早い情報系であれば短い期間で論文出版が出来るかもしれないという下心
- 長引くパンデミックの影響で実験系の研究室に通いづらい社会事情
- 自分の専門を確定させる前に異なる分野を覗いてみる最後のチャンスであるという思い
などがありました。
結果的には論文発表だけでなく、分野による論文の論理展開や研究の様子の違いを学ぶ濃い経験を得られました。実験的な生物学とコンピュータサイエンスの分野をもう一方から客観的に覗く視点が得られた事が一番の収穫で、大学院の面接の際にもほとんどの教授から学際的な研究のバックグラウンドを好意的に評価して貰えたようでした。
欲を言えば全く別の分野まで広く渡り歩けたらきっと楽しいのですけれど、学問を前に人間の寿命はあまりに短いので、今は専門分野の泥濘みを地盤と呼べる位までは踏み固めたいと思います。
6. 出願先進学先の決定
出願校を選ぶ段階では、論文を読む中で面白いと思った研究室がある米大学院のリストを作成し、その後スクリーニングを行いました。網羅的なリストだったとは言えませんが、世界中の大学院を全て調べられる訳ではないですし、結局行く場所は一つなのでこれも巡り合わせかな、と結構割り切って考えていました。研究室を見ていく際には
- 小〜中規模であること
- 直近の論文で実験と計算科学的アプローチの両方に取り組んでいること
- 学生が筆頭著者の論文が多いこと
を特に重視しました。最終的に7校の米大学院と、米大学院に近いシステムで入試・運営を行なっている国内大学院としてOIST(沖縄科学技術大学院大学)に出願しました。
出願校を機械的に決めた一方で、各校の厳密な志望順は特に決めていませんでした。PIや学生との人としての相性を重視していたのと、出願後のプロセスで得られる情報が多いと考えていたためです。志望校を明確に決めない作戦は、出願結果の確認中に心の凪を保つのにはとても有効でしたが、進学先を決断するに当たっては愚かしいものでした。実際に合格を頂いて見ると気持ちがあっちへ行ったりこっちへ行ったりして、やじろべえの様になりました。厳密な第一志望は決めないまでも、もし迷った場合にどの評価軸をより重視するかは事前に考えておくべき、というのが反省点です。
最後まで残り二校の選択肢で悩んだ末、UPennを選びました。複数回の面談を経てPIや所属学生(交換留学時とは別)とウマが合いそうだった点と、機械学習・生物実験それぞれのエキスパートが同じ研究室に居た点を重視しました。返答のメールを送る直前、おまじない替わりに500円玉を投げてみるとUPennとした面がオモテを向きました。もう一度500円玉を投げる気にならないのを確認して、送信ボタンを押しました。
7. 最後に
この記事は、大学院進学へ向けて成果を焦っていた過去の自分に向けて、ほんの気休めにでもなればという気持ちで書きました。海外大学院受験も他の受験のご多分に漏れず、突出した人を除いてはある程度の戦略が必要になってきます。情報が増えるにつれてパッケージ化されつつある戦略に最適化した方が早く、成功率高く合格出来るんだろうと思います。一方で出願に至るまでの過程は自由で、必要な事柄は頭の片隅に置きつつ道草をしながら行くのも悪くはなかったかなあ、と感じます。立ち止まりたい気持ちになる事も一度ではありませんでしたが、ぶらぶらと進みながら自分が研究を通して何を得たいのかという考えを熟成させる期間は、論文成果や大学院の合否とは全く独立に、もっと言えば今後研究を続けるのかどうかとも独立に意義深いものでした。そんな再現性ゼロのポジショントークをもって、本稿の結びとしたいと思います。