アメリカ人文科学系PhDの留学生活【XPLANE TIMES 院留学の本棚】

本記事はXPLANE TIMES(ニュースレター)第2号(2024年1月7日発行)内の連載企画『院留学の本棚』に掲載された記事です。
連載企画『院留学の本棚』では、海外院生の大学生活、研究生活に焦点を当て、大学院留学についてあまり知られていないトピックや、留学志望者にとって有益な情報を提供する記事を掲載しています。第2回の今回は、アイオワ大学で教育学の博士課程に在籍されている中原さんに、あまり情報がない人文社会科学系(いわゆる「文系」)のPhD生活の体験についてご寄稿いただきました。

はじめに

米国は人気の大学院留学先ですが、理工系に比べ、人文社会科学系の留学体験談は多くありません。今回は、私が在籍する教育学分野の博士課程における①授業、②仕事、そして③comprehensive exams(コンプ)の3点について、これまでの3年半を振り返ってお話ししていきます。

授業について

米国の博士課程の場合、入学して数年間はガッツリ授業を履修することになります。ここが日本の一般的な博士課程との一番大きな違いだと思います。私の所属するプログラムの場合、博士課程の修了には90単位が必要で、そのうち博士論文は12単位です。つまり、残りの78単位が必修や選択必修、選択科目になります。関連分野の修士号を持っている場合、その時履修した単位を選択科目(24単位)として互換してもらうことができ、私はこの仕組みを利用しています。その結果、実質的に履修が必要なのは54単位となります。ひとつの授業が3単位で、1学期に取る授業がだいたい3つ(多くて4つ)なので、コースワークを終えるのに約3年(6学期)かかる計算です。

しっかりしたコースワークがあることの利点として、研究法や理論などの基礎が幅広く身につくことが挙げられます。私の場合は教育学を学び始めたのが修士から(学部は工学)だったため、もっと授業を通じて土台を固めたいという気持ちがあり、米国の博士課程を選びました。基礎的な授業は研究科全体を通じて必修のものも多いので、この期間を通じて他のプログラムの学生たちとも知り合いました。

紅葉が綺麗なアイオワシティ。治安は日本並みに良いです。

授業負荷は、留学が初めての非英語話者としての体感では、日本よりも米国の大学院のほうが圧倒的に重いです。これが、コースワークがあることのデメリットと言えなくもない点です。私は学士号と修士号は日本で取得しており、修士のころには1週間に1冊日本語の本を読んでくるという授業もありました。そのため、予習としてある程度の量を読むことには慣れていたのですが、博士課程に進学して言語が英語になったことで、必要な時間が桁違いになりました。英語話者の友人と比べてみたところ、どうも私は読むのに彼の3倍くらいの時間がかかっているようです。それでも予習しないといけないのは、授業がディスカッション中心のため、読んで行かないと何も喋ることがないからです。ディスカッションも、乗り切るには少し計画が必要になってきます。会話に途中で割り込むのは大変なので、私は聞かれそうな内容(予習で課された論文の論点や気づきなど)を事前にまとめた上で、極力最初に発言するようにしていました。分野的に米国人(英語話者)のほうが圧倒的に多いことから、やはりディスカッションの速さについていくのは大変です。授業の先生方に「最近どう?」と聞かれることがあった場合には、「まだディスカッションに慣れなくて」と正直に伝えるようにしていました。その結果、授業の進め方を工夫してくださった先生もいます。予習・ディスカッションに加えて、もちろん課題もあります。学期中の課題内容は先生によって様々ですが(発表やエッセイなど)、期末課題はリサーチペーパーのことが多かったかなと思います。リサーチペーパーを書くのは大変なのですが、そのまま学会発表の要旨や学会論文として利用できるのが嬉しいところです。入学したころ、先輩から「自分の研究は授業を通じて進めないと、やる時間ないよ」というアドバイスをもらったのですが、本当にその通りだと感じました。

仕事あるいはお金について

金銭面では、所属プログラムにかなりお世話になっています。私の場合、1年目は日本の奨学金(円)、2-3年目は日本の奨学金(円)+fellowship(RA、ドル)、4年目の今年はassistantship (TA、ドル)をいただいています。最初の3年間は、日本学生支援機構の奨学金(海外留学支援制度)を受給していました。これは額も大きく素晴らしい奨学金なのですが、残念ながら授業料と生活費のすべてを賄うには足りなかったため、プログラム側にその旨を伝えて「差額を補ってもらえませんか」とお願いをしました。そしてありがたいことに、研究補助のお仕事をすることでfellowshipをいただけることになりました。

こうして円の奨学金とドルのお給料を組み合わせていたのですが、途中で円ドルの為替レートの急激な変動という問題が発生しました。1ドル150円台まで円が下がった時には頭を抱えましたが、指導教員が教員会議で取り上げてくださり、まとまった一時金をいただくことができました。こうした対応をしていただけるとは思っていなかったので、指導教員や他の先生方には本当に感謝しています。そのような経緯があったため、4年目の今年はすべてドルでお給料をいただけることになりホッとしています。

夏は103℉(39℃)、冬は-25℃になる試される大地。

個人的な感想では、TAのほうがRA よりも大変です。米国でTAという場合には、授業補助とインストラクターの2パターンがあります。授業補助の場合、採点をしたり学生からのメールに答えたりという形でメインの先生のお手伝いをする形になり、日本でいうTAに近いと思います。私はインストラクターなので、シラバスを作り(ひな形は有り)、スライドを作り、授業をし、採点をし、成績をつけ……という仕事です。これは日本で博士課程の学生が時々やっている非常勤講師に近い気がします。米国にいても教歴が積めるのはとても嬉しいです。ただ、これまで日本でも授業を教えた経験がなかったこと等々の要因から、今学期は単純に大変でした。RAをやっていたときの2, 3倍の時間を仕事に費やしたと思います。来学期以降は慣れてもう少し楽になることを期待しています。

ちなみに、TAでいただいているお給料は月に1800ドルちょっと(手取り)+授業料免除になります。かかっている生活費は毎月1500ドル弱程度です。このあたりの事情は米国内でも地域差が大きく、都市部の大学の場合には、生活費もお給料ももっと高いのではないかと思います。

「コンプ」について

日本の博士課程になく、さらに専門やプログラムによって差異が大きいもののひとつに、comprehensive exams(コンプ)があります。言い方も一様ではなく、preliminary examsやgeneral exam、qualifying examとしている場合もあるようです。ともかく、これは米国の博士課程に進学する場合にはいつか通らなければならない道なのですが、日本語で得られる情報が少なく、私は友人や先輩に逐一質問して何とか乗り切りました。今後コンプを受けられる方の参考になればと思い、ここで扱っておきます。

コンプの位置づけとしては、必修の授業をとり終えたあとに、博士論文に取り組む準備ができているかを確認するために実施する試験、と説明できると思います。博士課程に入学するときの身分はPhD studentですが、この試験に合格するとPhD candidateとなり、博士論文を執筆できる身分になります。試験問題は、① 自分で考える場合と、② 所属プログラムの教員から提供される場合があります。私のプログラムは前者を採用しているので、今回は主に①について書きます。

両者に共通するコンプの前段階として、「コミッティー(committee)を作る」があります。つまり、自分のコンプの主査・副査になっていただきたい先生方に対して、「私のコミッティーに入っていただけませんか」と連絡をすることになります。主査は基本的に自分の指導教員です。副査については、私のところでは3人必要で、2人は同じプログラムの先生を、1人は同じ研究科の別のプログラムの先生を選びました。

さて、① 自分で問いを立てるコンプの場合、第一関門は「よい問いを立てること」になります。そしてその段階を突破すると、第二関門は「問いに答えること」、第三関門は「書いたものをディフェンスすること」となります。以下に私の場合のタイムラインをまとめてみました。

イベント期日
オリエンテーション2023年2月20日
「問い」の提出2023年3月10日
「問い」の修正&再提出2023年5月5日
回答(エッセイ)の執筆2023年8月7日
口頭試問(ディフェンス)2023年9月8日

まず、どのような問いを立てるのか、という点ですが、指導教員には「yes/noで答えられるものではなく、簡単に答えが出ないもの」というようなことを言われました。分野は何でもいいので、私は自分の博士論文につながるような内容を選びました。この「問い」は所属プログラムの教員会議で承認されるため、専門外の先生方にも理解していただけるように、背景を含め1ページ程度で執筆して提出しました。

「問い」が承認された後は、エッセイ(私の場合、文献レビュー)を書いて締め切りまでに提出します。私のプログラムでは、書く量は30ページという指定がありました。英語話者の友人たちは締め切り2週間前から書いたと言っていましたが、私は余裕を見て1か月使いました。

エッセイを自分のコンプ・コミッティーに提出すると、今度は口頭試問の日時を設定することになります。私の所属プログラムでは、コンプに落ちるということはまずありません(修正再提出は聞いたことがあります)。それでも皆、かなり緊張して口頭試問に臨みます。当日は、まず私のほうからこのトピックを選んだ動機、内容の要約、そしてこれを博士論文にどのように繋げていきたいのかを10分程度で発表し、その後先生方からの質問に答えました。1時間半弱の口頭試問ののち、コミッティーの先生方が協議を行い、数分後には合格が伝えられました。これで晴れて博士論文を書ける身分となったので、今後は博士論文のプロポーザルに取り組んでいくことになります。

最後に、②所属プログラムの教員が試験問題を提供する場合について軽く触れておきます。同じ研究科の別のプログラムの友人は、まずこれまで履修してきた授業からふたつの分野(教育社会学と教育史)を選び、それぞれの担当教員と研究関心などを共有したそうです。そして、試験開始日にふたつの問いが提示され、試験期間として設定された1週間で15ページのエッセイ×2本を執筆したと話していました。その後、私のプログラムの場合と同様に口頭試問があったとのことです。

■ おわりに

今回は、情報の少ない人文社会科学系の米国博士課程生活についてお伝えしました。あくまでも一大学の教育学分野の状況なので、「そういう所もあるんだな」という程度の感覚で捉えていただければ幸いです。こうして3年半を振り返ってみると、友人や指導教員、プログラムからの支援のおかげでなんとかここまで来ることができたんだな、と改めて感じます。元々このプログラムへの進学は、自分の研究関心だけではなく、プログラムの雰囲気や指導していただきたい先生の評判などを考慮して決めました。「もっと有名な大学に行けば?」と言われたこともありましたが、個人的にはこのプログラムを選んで大正解だったと思っています。何度も申し上げるように、あくまでも一例にはなりますが、人文社会科学系分野での大学院留学を希望される方の参考になれば嬉しいです。

  • URLをコピーしました!