参考にしないでほしい !? 波瀾万丈の短期決戦、海外大学院PhD課程への道【海外大学院受験記2022-#7】

XPLANE連載企画「海外大学院受験記」では、海外大学院への出願を終えたばかりの方の最新の体験を共有していただいています。2022年度の第7回である今回は、この秋からアメリカ・ニュージャージー州のPrinceton Universityの博士課程(地球科学)に進学予定のりんさん(@earthsci_girl)に寄稿していただきました。

受験記として矛盾しているタイトルな気がしますが、出願時期もプロセスも珍しい部類におそらく入ると思うので、「こんな一例もあるんだな」と知って頂くことで、皆さんの海外院受験に対する心のハードルが少しでも下がれば幸いです。

私は現在、東京大学理学系研究科の修士課程で気候科学を専攻しています。海外の大学院には修士1年時に出願し、この夏からプリンストン大学Atmospheric and Oceanic Sciences博士課程に進学する予定です。東大では修士号を取らず、中退して海外の博士課程に進学する形となります。

プリンストンのキャンパス
Nassau Hall, Princeton University, Princeton, New Jersey” by Ken Lund is licensed under CC BY-SA 2.0.
目次

1. 海外大学院進学を志した理由

ここでは博士号を志した主な理由3つと、それを海外で目指す理由5つの、計8つを述べます。

a. 博士号を志した理由

a-1. 専門を極めたかった

私の将来の夢は「気候変動に対し人々が地に足のついた対策・判断ができるよう科学的見地から意見・提言することのできる気候学者」で、アカデミアと実社会の橋渡しをするような、分野融合的な立場に立ちたいという思いがあります。そのため、アカデミア出身を名乗るならもっと専門知識と経験が必要だと思いましたし、実際もっと科学を突き詰めたい知的好奇心があったのです。「ここは自分に任せて!」と言える分野があることのかっこよさにも憧れがありました。

a-2. アカデミアの世界の価値観が好きだった

世の中の多くの謎に比べたら人間はちっぽけな存在に過ぎないという価値観のもと、科学の追求を共通目標としているところや、人種も性別も年齢も関係なく、シンプルに研究内容で対等に議論し合うところ、お互いの考え方を尊重しながら、互いに実名で提案し合う環境であることが素敵だと思いました。

また、ネット上では時々「作成に10時間かけた資料を無料配布するのでリツイートかライン登録」のような流れを見ますが、研究論文は基本10時間どころでない時間と労力の蓄積の賜物で、そうした文書を信頼ベースとして話し合う土壌です。論文だけでなく、優れた研究者の方々の受賞も、実際の発見や発表からさらにだいぶ時が経って贈られるような長期スパンの世界に、「賞を取ったからすごい」のではなく、あくまで「やってきたことの結果」なのだと実感しました。表面的な経歴や受賞歴だけに翻弄されず(もちろんそれらが重要な時もありますが)、人の中身を見極める判断力が大切ですし、同時に、まだ何も成し遂げていないような自分もそのような観点で見てもらえるのだろうという期待がありました。

a-3. 自分を守るため

若い女性というのが関係するかは分かりませんが、親近感となめられやすさは表裏一体だとたびたび実感します。全然なめてもらって構わないのですが、現実問題として、時に学問や学位が自分を守ってくれるものだと思っています。

b. 海外を志した理由

b-1. 自立したかった

海外、特にアメリカの博士課程は、多くの大学で授業料フルカバーに加えてお給料がもらえます。生活費含め、自分1人でやりくりしていけそうであると分かり、金銭面で日本にいるよりむしろ自立できそうだったというのが魅力的でした。

b-2. 海外の方が気楽に過ごせた

私は学部中に香港大学とオーストラリア国立大学に交換留学しており、短い期間でしたが現地で心が楽に過ごせた感覚がありました。もちろん慣れない土地での大変なこともあるのですが、日本にいると鬱々とした大変さがあり、それに比べれば海外の方が自分にとっては耐えられるタイプの大変さだと思いました。

ちなみに交換留学では、香港デモとコロナ拡大により、どちらも中途で強制帰国になってしまったため、交換留学ではなく学位留学だったら、自分を連れ戻すものはないだろうと思ったのもあります。笑

b-3. キャリアの選択肢が多かった

将来的に研究者一本ではないキャリアを目指している人間として、「博士号を取るとアカデミア」という色が濃い日本よりも、博士号取得者がインダストリーやベンチャーや政府系など様々な業界で活躍しているイメージの強い海外の方が、キャリアの選択肢が広がるのではと思いました。実際、面接時にその意向を伝えた上で受け入れてもらえたので、柔軟な環境ではあるのだろうと思っています。

b-4. 遠いところに行きたかった

ある経営者の方の「発想力は移動距離に比例する」という言葉が気に入っており、旅が好きな理由でもあるのですが、海外に行ったらチート並に距離が稼げるな、と思いました笑

また、先の見えた未来があまり好きでないので、このまま送るであろう直近10年の未来をそのまま辿るよりも、大きく場所を変えることを選びました。

b-5. 自分のアイデンティティが欲しかった

博士課程に進むこと自体、割合的に珍しいかと思いますが、海外でとなるとなおさらです。そこに自分のこだわりがあり、キャリア選択を通じて自分の哲学を示したかったという気持ちがありました。そうした自身の逆張り的な志向が、時に足枷となってもがくことも多々ありましたが、友人の言葉で、オンリーワンを目指すこと自体が珍しいらしいと気付き、少し楽になった気がしています。

ここまで色々と述べましたが、結局、海外に行くかどうかは、好みの問題です。かつてある年上の方に「研究者なんて日本じゃだめだ。海外に行った方がいい。」と言われたことがあります。私は「きっと私に良かれと思って言ってくれているのだろうけど、なぜこの方は自分たちが支えてきたはずの時代の日本を否定し、断言的に海外を勧めるんだろう。『一緒に日本を良くしていこう』と言ってくれてもよかったし、日本にも優秀な方はたくさんいて、私はまだまだ学ぶことの多い未熟な人間なのに」と感じてしまいました。上とか下とか良いとか悪いとかじゃなく、私は自分の好みとして海外に行きたかったのです。地球の勉強をして、地球のために働くことに変わりはありません。

2. 出願結果

出願時の私の状況は、おそらく決して理想的ではありません。

  • 学部GPA3.43、しかも大学1~2年時の理数系必修科目が半分以上C(GPA4.0(満点)近い人も多い印象)
  • 英語スコア IELTS 7.0, TOEFL iBT 96
  • 出版論文なし(論文数本に海外リサーチインターンや国際学会発表など経験ある人もいる)
  • 推薦状は3枚とも所属する東大の学部の先生方(一般的に、リサーチインターン先や海外留学先など、異なるバックグラウンドの方から広く推薦状を書いていただくのが良いと言われている)

あまり見込みがないと判断されたのか、国内奨学金は8個ほど応募して全て落ちました(学内選抜があったものは全て学内選抜時点で不合格)。実際、唯一面接まで行った奨学金団体の審査員の先生から、「今年上手くいかなくても、来年の願書では業績を強くアピールできるように研究を頑張ってください」との悲しいアドバイスのお言葉までも頂いていました。

最終的にイギリスとアメリカの計10校に出願し、以下のような結果になりました。

大学名事前コンタクト面接結果
Princeton University2人とZoom、2人とメールあり(1/24)合格(2/18指導教官から連絡、 2/19大学から正式に)
University of Michigan1人とZoomなし合格(1/31指導教官から連絡、3/30大学から正式に)
Columbia University1人とメールなしマスタープログラムのみ合格
UC San Diego2人とメールなし不合格
University of Colorado Boulder2人とメールなし不合格
MIT1人とZoom、2人とメールなし不合格
Imperial College London1人とZoomあり(1/13)不合格(奨学金取れたらまた連絡するようにとのこと)
University College London2人とメールなし不合格
Cambridge University1人とZoom、SoP見てもらうなし不合格
University of Washington2人とメールなし不合格

全落ちを覚悟しつつ、精一杯やろうと藁をも掴む気持ちで粘り続け、結果として第一・二志望の大学から合格を頂けた(ミシガン大学からはしかもDepartmental Fellowship付きの合格だった)ことは本当に嬉しいと同時に、正直自分でも信じられませんでした。

ただ一つ言えるのは、海外大学院受験は大学や博士課程プログラムとのマッチングであるということです。大学側の資金状況や研究の流れ、指導教官となる教授が学生を取る年度かなど、様々なコントロールできない要素も多くあり、その中で向こうとこちらの希望がちょうどマッチする時にうまく話が進むので、一つは門前払いでも別ではスーパーウェルカムということがあり得ます。正直、出願を考える大学の教授らとコンタクトをする中で、感触は初期の段階で割と分かります。ゆえに、大学に合わせるというよりは、自分がやりたい研究に自分の信念に従って励み、その上でマッチするような大学を探すことが一番だと思います。

何が奏功したのか、自分なりに振り返りつつ色々と考えてみましたが、私の拙い考えを述べるより、ひとまず過去のメモやSlack・メール記録を遡りながら事実を並べるので、皆さんに判断していただければと思います。


3. 出願準備〜出願のタイムライン

出願準備のタイムライン

出願校決め

6月〜8月

  • 専攻が近い先輩に出願校選びのアドバイスを伺ったり、同じ分野でアメリカのポスドクをされている方に、研究の業界事情(どこがこれに強くて、ここは勢いがあって、規模はこんなで、何が使えて…のような)を伺いました。
  • 並行して、少しでも興味のある大学の専攻サイトの教員一覧を片っ端から見て、気になる先生の論文や個人サイトを読みました。
  • 逆に、普段読んでいる論文の著者からも遡って大学を探したりして、リストにしました(下図)。
出願校を絞るためのリスト

9月〜

  • リストを東大での指導教官に見せて意見をもらい、その上でさらに情報収集しつつ、9月下旬から確実に出願するであろう先生にはコンタクトを取り始めました。
  • その感触や話の内容も含めてリストを書き直し続けて、11月に最終出願校と、エッセイに名前を含める先生を決めました(下図)。

12月頭に一番始めの出願締め切り校があったことを考えても、多分これはあまりゆとりのないスケジュールなので、真似しない方が良いです笑

最終出願校の出願要件をまとめたリスト

国内奨学金

国内奨学金を取っていると出願の際に非常に有利ですし、実際いわゆるトップ校に合格されるような方達は少なくとも一つ取られているように思います。一つ一つの書類作成に非常に手間がかかるので、コストパフォーマンスの観点から出さない方針を取られる方もいるようですが、私は体当たりしました。結果的に出さない方が良かったのかもしれませんが、個人的には少しでも可能性があるものは全てトライしたかったですし、ここで書いた志望理由などのエッセイがそのままSoPに生かせると思っていたためです。船井財団の奨学金だけ唯一面接まで行き、そこで審査員をされていた加藤雄一郎先生に、後日「結果によらず個人的に応援をしたい」と連絡を頂き、Zoomで非常に詳しいアドバイスや添削までして頂けたので、出して良かったと思いますし、大変ありがたい限りです(加藤先生にはお名前出して良い旨、確認頂いております)。

また、分野は異なりますが、同じく海外院を目指す大学の同期と、書類を添削しあったり面接練習したりしていました。こうした仲間が1人でも身近にいると心強いものです。友人には感謝しています。

SoP/Personal Statement

XPLANEのSoP執筆支援プログラムでは、9月から11月にかけて6回ものZoomメンタリングと、SoPやCVなどの継続的な添削をして頂きました。メンターのお二人にはエッセイ添削だけでなく、志望校の研究者の方を紹介してもらい様子を伺う機会を頂いたり、心の面でも本当に支えになって頂いて、もう、感謝しかありません。この恩返しを、後輩と社会にしていけたらと思います。この支援プログラムを基軸にしながら書き進め、英語面では東大の英語添削サービスや、既にアメリカ・イギリスの博士課程に進学中の知り合い・友人に見てもらいながら、最後には有料の添削サービスでネイティブに確認してもらい、バージョン7くらいまで校正しまくったものを満を持して出しました。運良く、小さめではありますが出願直前にあった学会で優秀発表賞をいただくことができたので、それを全力でアピールしました。笑

また、Personal Statementでは、海外院進を考える前に自分が学部時代色々と好きでやっていた活動について述べることができ、自分の一側面として評価してもらえたのは嬉しかったです。(交換留学、単位互換交渉、国際交流イベント企画運営、塾講師アルバイト、学生会議運営、休学中のインターン、英語系サークル副部長、気候変動関連ワークショップ運営、学内新聞やNew York Timesへの寄稿・取材協力、科学アート展での作品展示など)

英語スコア

TOEFLを8月~12月に毎月、計5回も受けました…オーバー100を目指していたのですが、(交換留学していた人間なのに)伸び悩み続け、最後はIELTSとスコア基準を満たしている方で出しました。スコアメイクに結構地味に苦しんでいたのですが、結局足切り程度にしか使われないようで、面接の際に英語力に問題がないかも含めて全般的に見られているようでした。

GRE

使用しない流れになってきているのに加え、コロナ禍の影響もあり、少なくとも私が出願を考えた大学では全て不必要かoptionalだったため、一切受けませんでした。GPAが低いのもあり、GREで印象改善を図るか悩みましたが、時間的・労力的にとても無理だと判断しました。

Zoom•面接

塩対応されがちなメールの中で、Zoomの機会を作ってくださった先生方とのミーティングは絶対的なチャンスなので、各先生のサイトや論文を読み込んで質問を事前に考えたり、先生の研究方向性に合わせて自身の研究紹介スライドを微修正して臨みました。そこでの流れで、研究室の学生にも話を聞けるよう繋いでいただいたり、SoPを提出前に見てくださった先生方もいたので、それまでに直接的な繋がりがない先生を志望する場合はZoom・メールでのやりとりが必須だと思います。面接は、結構予想しない質問をされることが多く、その場でうまく回答しきれないこともあったので、事前のZoomで良い印象を持っていてもらうことが大切かと思います。私は、雲のでき方を説明するよう言われた時、断熱膨張の”adiabatic”をど忘れし、苦し紛れに”diabetic…”と言って多大なる恥を晒しました。

ちなみに、面接で”Your academic achievement of freshman and sophomore does not look impressive.”と直球な質問もされました。返答として、「私は物理や数学の概念をビジュアルやイメージで理解するタイプなんです。大学1, 2年時の講義は文字の羅列で正直楽しくなく、理解も深まらなかったけれど、大学院の専門の授業では、気候や気象現象の中で物理を学べたので理解に繋がりやすく楽しかったのです。」と答えました(言い訳のようですね…でも本音ではあるのです…)。

合否通知

1~3月に来るのですが、特に2月頃は毎日落ち着いて眠れず、時差の関係でたいていメールは夜中に入るので、朝起きて一番にメールを確認する日々でした。この頃は “regret” “sorry” “unfortunately”恐怖症で、もはやspotifyからの広告メールすらsorryと見誤ってドキッとすることもありました笑

4. 出願後の粘り

1月上旬に出願が一通り終わった頃、プリンストンでメインコンタクトを取っていた先生から「修士課程の成績は2月中旬に出るとのことだが、早めに出してもらえないか。また、今書いている論文の下書きを見せてくれないか」とのメールがきました。これは学部のGPAが低く研究実績もほぼない私の、修士課程での頑張りを見ようと、チャンスをくれているのだと思い、必死に対応しました。取っていた各授業の先生方にお願いして、レポート提出や発表を早めにしてもらい、中間評価レターを送って頂きました。また、論文ドラフトを必死に書き整えつつも、当時東大での指導教員が修論の先輩方などの対応で忙しくなかなかミーティングの時間が取れず、一方で指導教員の確認なく投稿前の論文を外部に出せないというジレンマもあり、かなり焦りました。結局は事情を細かく説明して、代わりに4月に行われる国際学会の事前提出済みabstractや学部の卒論を出して、納得していただけました。

また、プリンストンの面接は1月下旬にあったのですが、想定しなかった質問を矢継ぎ早にされ、個人的にあまりうまく答えられなかった気がして、終わってからかなり落ち込みました。XPLANEのメンターさん達に相談して、アドバイスの末、面接でうまく答えられなかった箇所のフォローアップを長文で送りました。正直、吉と出るか凶と出るか分からず悩みましたが、後悔はしたくなかったので、一か八かと全霊を込めて書き、結果的にマイナスに働かなかったようで本当に良かったです。

この時期は先に面接があったインペリアルカレッジから不合格通知をもらい、プリンストンに論文を求められた形で出せなかったことへの不安も残っており、今学期の最終成績をよく終えるために力を入れないといけない最終レポートの締め切りも複数あり、別のいくつかのトラブルも重なって、1月は心身ともにかなり死にかけながら乗り切った感じでした。

ということで、まとめると私は出願後に

  • 成績早期提出(プリンストンの先生もよく知る東大の先生からも直接評価を送ってもらえた、2月に出た最終成績でもなんとかオールAが取れ、すぐにプリンストン側に送付)
  • 論文ドラフト提出(国際学会に出すことを伝えられた&指導教員との論文の取り扱いに関するやりとりを通じて科学者としての考え方?を伝えられて、価値観を共有できた)
  • 面接フォローアップ(熱意、という風に取っていただけた…?)

を粘って行った形になります。

この時期の自分のツイート

5. 運が良かったポイント

ここまで散々書いておいて、結論としては、私は運が良かったのだと思っています。

  • プリンストンでの指導教官は実は、大学の教官一覧や教授の個人サイトを見ていて「人が良さそうな方だな」と思ってコンタクトした方です。そうしたら実は研究所の所長というめちゃくちゃ大御所でした(知らなかった)。その先生になぜか気に入っていただけた(推測ですが、おかげで鶴の一声で決まった?)のではと思います。大御所すぎて他にコンタクトする学生がいなかったのでしょうか、身の程知らずにコンタクトした私を大らかに受け入れてくださいました。
  • しかもその先生はお忙しいので、学生を1人しかとっていないそうで、つまりは博士課程にかかる5年に一度しか学生をとっていないということです。ちょうど昨年に前の学生さんが卒業されたので、新たな学生にオープンな状態でした。
  • また、その先生はもう60代後半で、私が引退前最後の学生かもしれないほどでした。もう先生自身に業績は必要ないので、ひょっこりやってきた私を育ててくれようとしたのかもしれません。
  • 実はその先生の専門は現在気候かつ低中緯度域メインで、私は古気候かつ北極域を主に研究しているのですが、たまたま先生が高緯度域にも興味を持ち始めていたタイミングだそうで、古気候研究と現在、将来気候を繋げるという、先生にとっては新しい領域のテーマ提案にも非常に興味を持ってくださいました。
  • そもそも気候科学分野では、UCLAの荒川先生やGFDL(プリンストン)の真鍋先生を始め、偉大な日本人研究者が多く、気候モデル研究における日本人の存在感が大きいです。また、ちょうど私がプリンストンの先生にコンタクトした昨年の10月に真鍋先生がノーベル物理学賞を受賞され、プリンストン内での日本の研究者へのイメージが良かった、という可能性は大いにあると思います。
  • 第一、第二希望だったプリンストン大学とミシガン大学は、全ての大学院生への授業料フルカバーと給与支給が定められていたので、個人の国内奨学金の有無があまり問われなかったようです。

なぜ私を取ってくれたのか、プリンストンの先生にいつか聞いてみようと思っています(またその時は記事を書きます)。本当は合格を頂いてすぐ聞きたかったのですが、もし真剣に考えられて「確かになんでだろう…やはり間違いだったかもしれない」と取り消しになったらどうしようと思って聞けませんでした、すみません。ちなみに、推薦書でもお世話になっていた東大の元学科長の先生にご挨拶に行った時、「私、大して学部時代の成績も良くないし、取り立てて研究実績あげたわけでもなければ、英語のスコアも大したことないのに、なんででしょう」と言ったら、「うむ…まあ最後は人間性だからね笑」と言われ、(前半は否定されない…喜んでいいのか悪いのか笑)と思いつつ、ありがたく受け止めることにしました。

ただ一つ思うのは、これまでの人生、私は出会う人の運に非常に恵まれています。 その時点でやはり私は運がいいのでしょうし、だからこそこれからも、なんだかんだ夢に近づいていけるだろうと根拠無く思っています。

6. これから海外大学院へ出願する人へのメッセージ

海外大学院側は非常に能力の高い人を求めているように感じ、自分なんか…と思ってしまうかもしれませんが、何事も「原則」にすぎません「原則」があるならば「例外」もあって然るべきですし、それを通じて「原則」が広がっていきます。ぜひ、少しでも動いてみたい気持ちがあるのなら、とりあえずこの記事を通じて「奨学金全部落ちるような人でも、なんとかなるものなんだな」と知って頂き、少しでも皆さんの心が楽になれば幸いです。
また精神的に辛くなったり自分に自信を失ったときには、私がオーストラリア国立大学留学時の入学式で卒業生の方がテーマにしていた”Benefit of failure and vulnerability”という言葉を送りたいと思います。きっと道は開きます。

私に限らず海外院進を志した方々それぞれに紆余曲折のストーリーがあって荒波を越えられてきていると思います。私のケースは決して典型的なタイプではないと思うので、ぜひ多くの先輩方がまとめられている素晴らしい受験記も読んでみてください!

番外編 メンタルヘルスと願掛け

出願時の悩み、行っていた願掛けについての番外編は次ページへ!

桜の時期のプリンストン
Princeton University” by Gary Liu is licensed under CC BY-NC-ND 2.0.
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